仮面をサバクった人聡 竹内2024年12月25日読了時間: 3分「ディズニーランドには、隣のテーマランドとの境目に、気づかない程度の水路が流れているんです」大学の授業で非常勤講師が言っていました。そこには幅の広い短い橋が架かっていて、来場者はそれを渡ることで次に待つ全く別の世界へ気持ちを切り替えられるらしいです。有名な話ですかね。奄美大島は海岸線という確かなもので周囲と隔たれていますが、僕の生まれ育った横浜と隣の川崎の境目は、電車に乗っていても歩いていてもほとんど感じません。自分の家と隣の家との境目隣の町との境目現実と仮想の境目男と女の境目日常と非日常の境目。この世界にはさまざまな境目というものがあり、時に明白で、時に曖昧です。25年前、僕は横浜の険しい坂の途中に立つマンションの一角で、RPGに没頭していました。ブラウン管の先にある荒々しいポリゴンのワールドへ、自分の想像力や幼い経験値で世界を補填しながら。二十歳を迎えると、よくスポーツカーでドライブをしていました。友達が運転して、僕はいつも助手席。ある夜、首都高を駆けながら真冬の夜風に凍えていると、突如とてつも無いスケールとおびただしい光をまとった工場プラントが目の前に飛び込んできました。それは正に僕らが思春期に没入していた『魔晄都市ミッドガル』そのもので、日常から突如非日常への境目を渡った僕らは興奮冷めやらず、以降テクノスケープを嗜むグループを意味不明に結成し、関東の工業地帯を来る日も来る日も散策していました。テクノロジーは急速に進み、今では人間やAIによって作られた画像や映像は僕が見てきた異世界をいとも簡単に具現化します。巨大生物と人間が対峙したり赤ちゃんがドラムを叩いたりしている動画は本物と見紛えるほどだし、AIが生成したグラビアアイドルもまた人間さながら。方や人間は整形やメイクを重ねてその作り物に近づこうとしている気がするし、現実と仮想の境目がもうよく分からなくなってきています。今回のイベントでは来た人に「ファンタジー溢れる向こうの世界に行きたい」と思った当時の自分の感覚になってもらいたくて、その現実と幻想の境目をどう作ろうかと考えました。メタバースのように入り込める、けど現実。作り物感はある、けど何処でもない雰囲気。なんというか、境界を曖昧にしつつも確かに線はあるような。それを表すための道具として仮面があって、ロケーションとして銅山跡がありました。(ちなみに文章も、一体これは誰がどんな時の言葉なのか分からない、けど共感してもらえたらと。イベントに来て実際そう思ってくれた人たちが結構居てくれて嬉しかったです。)ただあの素敵な場所を隈なく探検して欲しいだけ。ただゲームの世界を延長したいだけ。結局僕はあの頃と何も変わっていない。そうか、これがいわゆる厨二病ってやつか。という感じで、僕は仮面をサバクった。